先天性筋ジストロフィー・MEB病の原因遺伝子解明

副所長 遠藤玉夫

「筋ジス原因遺伝子特定─老人研・阪大発症の仕組み一部解明」という見出しの記事が平成13年11月9日付けの日本経済新聞に掲載されました。この発見について簡単な解説を致します。研究の内容は、全身の筋力が低下する筋ジストロフィーの一種Muscleeye-brain disease(MEB 病・発見者の名前を取りサンタヴォリ病とも呼ばれる)の原因遺伝子を発見したことです。この遺伝子は「糖転移酵素」と呼ばれる酵素を作り出し、この酵素はさらに「糖鎖」というものを作り出します。この遺伝子に異常があると、筋細胞の細胞膜などにある「糖鎖」が出来ないために糖タンパク質(用語解説:糖鎖参照)がうまく機能しなくなり、それによって筋肉の細胞が死んだり、性質が変わったりすることで病気を発症すると考えられます。筋ジストロフィーが糖鎖の異常で起こることが示唆されたのは初めてです。このMEB 病は、病名のとおり筋肉(muscle)だけでなく、眼(eye)や脳(brain)の発達異常を伴うのが特徴です。我々のグループは、老化に伴う末梢神経障害について探るために末梢神経糖タンパク質の糖鎖に関する研究を実施した結果、最終的に神経細胞の移動に異常を伴う筋ジストロフィー、MEB 病の原因遺伝子の特定に成功しました。今回の発見は、筋ジストロフィーの原因と健全な脳の形成のより深い理解のためにも重要な一歩となり、発症メカニズムの一部が解明されたことで、これらの難病の治療法の足掛かりとなると期待されています。

筋ジストロフィーとは

全身の筋力が徐々に低下する筋ジストロフィーは、効果的な治療法の開発が待たれている難病の一つです。筋ジストロフィーにはデュシェンヌ型や福山型など数十種類があります。このうち、デュシェンヌ型と呼ばれる筋ジストロフィーの原因となる遺伝子は1980年代後半に同定され、その遺伝子産物は骨格筋や心筋の細胞膜に沿って存在するジストロフィンと呼ばれる蛋白質であることが発見されました。しかしながら、ジストロフィンが無くなるとなぜ筋肉細胞が死んだり性質が変わったりするのかは依然として分からなかったのですが、その後、ジストロフィンと結合し複合体を形成する筋細胞膜糖タンパク質の一群が発見されたことで研究が著しく進歩しました。この糖タンパク質群は、単にデュシェンヌ型筋ジストロフィーのみでなく他の筋ジストロフィーの発症でも重要な役割を果たしていることが、次々と明らかにされました。今回、原因遺伝子を特定できたMEB 病は、常染色体性劣性遺伝病で、欧州に多い種類の筋ジストロフィーですが、日本で多い福山型とよく似ています。

筋細胞膜糖タンパク質群の役割

筋細胞膜糖タンパク質群は、細胞内ではジストロフィンを介して細胞を形作るのに必要なアクチンとつながっており、一方、細胞外では細胞の働きを調節している細胞外マトリックスの主要成分であるラミニンと結合しています(図参照)。この複合体の中で特に重要なのがジストログリカンと呼ばれる糖タンパク質で、筋細胞膜の安定化に深く関わっています。細胞の外では細胞外マトリックスがネットワークを、また細胞内ではアクチン系などがネットワークを形成しており、細胞内外でそれぞれ文字通り網状構造を作っています。筋肉は収縮弛緩を繰り返しますので、筋細胞膜はかなり大きな力に機械的に耐えなければなりません。したがって、細胞膜を保護するためには、この二つの柔軟な網状構造をしっかり固定する必要があり、その役割を担うのが、ジストログリカンを中心とした膜糖タンパク質群です。こうして筋細胞膜はかなりの収縮弛緩の圧差に耐えることができると考えられています。ジストログリカンは、αとβの二つの成分から出来ています。ジストログリカンは筋肉以外にもあり、いずれの場合もαがラミニンとの結合を司っており、糖鎖が重要な働きをすると考えられていました。そこで我々は、αジストログリカンの糖鎖構造を調べることにしたのです。

図

新しいタイプの糖鎖の発見

その結果、αジストログリカンの主要な糖鎖は、哺乳類では新しいタイプの糖鎖、Sia α 2-3Gal β 1-4GlcNAc β 1-2Man であることが判明しました。そして、αジストログリカンはまさにこの糖鎖を使ってラミニンに結合していました(図参照)。マンノース(Man)を末端に持つ糖鎖(O-マンノース型糖鎖と呼ぶ)は酵母で最初に発見された歴史的な背景もあり、酵母ではこのタイプの糖鎖がどうやって作られるかは良く分かっています。しかし、哺乳類におけるO-マンノース型糖鎖の作られ方については、全く不明でした。酵母のO-マンノース型糖鎖の特徴はマンノースが数個並んだ構造で、哺乳類で我々が見つけたようなSia、Gal、GlcNAc などは全く含んでいません。つまり、哺乳類のO-マンノース型糖鎖を特徴付けているのは、まずGlcNAc β 1-2Man を作るステップであると言えます。そこで我々はGlcNAc β 1-2Man を作り出す酵素(POMGnT1)の存在の確認に乗り出し、かなりの苦労の末に確認に成功し、さらにこれが新しい糖転移酵素であることも見出しました。そこで酵素遺伝子を取得することに取り掛かり、世界で初めてPOMGnT1 の遺伝子を得ることに成功したのです。

筋ジストロフィーの原因遺伝子の特定

さらに研究を進めた結果、POMGnT1 は1番目の染色体に存在しており、中枢神経症状を伴う先天性筋ジストロフィーMEB 病の原因遺伝子であることが分かったのです。六人のMEB 病患者においてPOMGnT1 遺伝子を解析したところ、すべての患者で変異が起こっていました。そこで最も多く見つかった変異遺伝子から作られる産物の酵素活性を調べたところ著しく低下していました。筋ジストロフィーの原因遺伝子として糖転移酵素が同定され、実際に患者でその酵素活性の低下が確認されたのは初めてのことです。以上より、POMGnT1 遺伝子はMEB 病の原因遺伝子であり、O-マンノース型糖鎖を作り出すことができないと筋肉や神経の性質が変わってしまうことが考えられました(図参照)。筋・眼・脳を中心とする遺伝子異常に基づく疾患で、糖鎖異常の結果、脳では神経細胞の移動を阻止する機構に、眼では網膜に異常が生じていることは予想されますが、詳しいことはこれからの研究によって明らかにされることが期待されます。

おわりに

ノッチ受容体を介した情報伝達は、細胞の運命を決定し器官形成・形態形成で決定的な役割を果たすシステムの一つとして有名ですが、その際ノッチ受容体がどの相手にくっつくかが重要なポイントになります。このプロセスを支配する制御分子・フリンジが、糖転移酵素であることが最近判明しました。それは上述したSia α 2-3Gal β 1-4GlcNAcβ 1-2Man に非常に良く似たSia α 2-3Gal β 1-4GlcNAc β1-3Fuc という構造の中の、GlcNAc β 1-3Fuc を作る酵素でした。このように細胞認識における新しいタイプの糖鎖の役割が改めて認識され、その異常が形態形成に影響を与えたり病気を引き起こしたりすることが分かってきました。今後、このような新しいタイプの糖鎖の研究を筋ジストロフィーの機能回復にどうつなげて行くかは重要です。また老化に伴ってこれらの糖鎖が変化することも示唆されているため、この方面の研究も大きな課題であると考えています。 なお本研究は、大阪大学、キリンビール、およびトルコ、ドイツの研究機関との国際共同研究の成果です。

用語解説:糖鎖

我々の体は役割の異なった60兆という多数の細胞によって構成されています。個体を維持するためには、こうした多数の細胞どうしが調和を図り協調してそれぞれの役割を果たす必要があります。生命の設計図であるゲノムからの遺伝子情報は翻訳されてタンパク質が作られますが、半数以上のタンパク質はこれではまだ働きが不十分で、そこに「糖鎖」という砂糖のようなものがくっついて糖タンパク質となり初めて機能的に働くことが出来ます。細胞の個性や多様性を決めているのが、この糖鎖であり、生物のさまざまな機能に関わっています。糖鎖というのは、我々一人一人顔が違い、その違いによってお互いを認識できるように、「細胞の顔」としての役割を果たしています。たとえば、血液型の違いは糖鎖の違いによって決まっていますし、インフルエンザ・ウイルスは細胞表面の糖鎖を認識して結合することで感染します。糖鎖は遺伝子から直接作られるのではなく、酵素によってひとつずつ作られるのが大きな特徴です。

糖鎖に含まれる情報はゲノムには直接は書かれていない情報であり、ポストゲノム研究としてこれからさらに研究が必要とされる分野です。しかしながらこのように重要な分子である糖鎖の研究は遅れていました。糖鎖は極めて複雑な性質を持つ分子であるために、解析が容易でなかったのがその理由です。我々はこうした隘路を克服するために世界に先駆けて糖鎖の微量解析技術を開発し、この技術を背景に研究を進めています。