2022.12.14
「尊厳」とはなんでしょうか?...この質問に即答できる方は多くないと思います、なぜなら、「尊厳」という言葉が非日常的でとても縁遠いからです。しかし、衆議院で継続審議されている認知症基本法案(2021年10月現在)には、「認知症の人が尊厳を保持しつつ社会の一員として尊重される社会の実現を図るため」に、認知症施策を総合的・計画的に推進すると規定されています(第一条)。条文からは、「尊厳」という縁遠い言葉の理解・定義のされ方が認知症になった後のQOLに深く関わってくる可能性のあることがわかります。そこで、「尊厳」の意味を調べてみると、「とうとくおごそかなこと。威厳があって冒しがたいこと。」(明鏡国語辞典)と説明されています。しかし、なにをもって「尊くて厳か」なのか、なにをもって「威厳があって冒しがたい」のか、「尊厳」という言葉が具体的な行為と結びついていないため、相変わらず非日常的で縁遠いままです。そこで、この研究では、「尊厳」という言葉を具体的な行為と結びつけて理解することを目指しました。「尊厳」というとても抽象的でとらえがたい言葉が、日常体験のなかでどのように使われるのかという点に着目し、認知機能が低下することと「尊厳」の関わりを明らかにして、「尊厳」に配慮した認知症支援のあり方を明示することを目標にしました。
東京都健康長寿医療センター研究所では、認知症になっても暮らしやすい社会(Dementia Friendly Community;DFC)を実体化するための実践的な研究拠点「高島平ココからステーション」を、高島平団地の賃貸住宅棟(高島平2-32-2-105)に開設し、運営してきました(文献1)。この実践的な研究拠点の機能の一つが認知症カフェの運営です。認知症があってもなくても過ごすことのできる日中の居場所を提供し、そこに集まってくる高齢者等に対し、認知機能が低下しても、しなくても、つながりあい、助けあう関係を働きかけてきました。しかし、「助けあう」関係は言うほど簡単なことではありません。なぜなら、「助ける」「助けられる」行為とは主体性を侵害する・主体性が侵害される関係だからです。障害論ではこうした関係を「依存的自立」と言っています。「依存的自立」とは、他人の力を借りてもいいから自分のことを自分でできる自立を言い(文献3)、その根底には、日常生活にかなりの介助を必要とする場合であっても、主体的に生活のしかたを判断・決定する自立の考え方(文献2)があります。「依存的自立」という自立のあり方は、自立的であろうとする、何人も冒しがたい存在のあり方(価値)に抵触する可能性がありますが、その存在のあり方(価値)を「尊厳」と読み替えることによって、認知機能が低下しても、まさに「尊厳」を損なわずに「助けあう」関係を築く手がかりが得られると考えました。
この研究に先だって、「尊厳」が尊重された体験よりも剥奪された体験のほうが語られやすいことがわかっていたので、「尊厳」が傷ついた体験の語り、および認知症になることが「尊厳」を傷つける可能性についてインタビュー調査を行うことにしました。そして、その語りから、「尊厳」という言葉を行動面から理解することを第1の目的としました。次いで、認知機能の低下と「尊厳」との関連を語りから分析することを第2の目的とし、認知機能が低下しても「尊厳」に配慮した「助けあう」関係が可能な地域社会(DFC)を実現する手がかりを得ることを第3の目的としました。
この研究の社会的意義は3点あると考えています。第1は、高島平団地で得られる研究成果が大都市圏の集合住宅群を代表する知見であり、都市化した日本社会に広く援用できる可能性があることです。第2は、「尊厳」にもとづき「助け合い」の関係を構築することによって、認知症とともに暮らせる社会を実現することが、すべての人たちの「尊厳」ある社会の実現につながる(文献4)可能性があることです。第3は、従来の概念中心の「尊厳」研究と異なり、本人の体験から「尊厳」という言葉を理解することにより、具体的な行為と結びついた実践・行動可能な「尊厳」研究になっていることです。
「高島平ココからステーション」に集まる地域在住の70-90歳代の高齢者に調査協力を依頼しました。2021年1-5月にインタビュー調査を実施し、「尊厳が傷ついた体験」「認知症になったら尊厳が傷つくか」について、22名の方々から話を聞くことができました。(図1・2を参照)
「尊厳が傷ついた体験」に対しては、64%の調査協力者が「ある」と回答し、うち、「自尊心を傷つけられた」体験がもっとも多く、43%を占めました。「尊厳を傷つけられた」体験のなかでは、「人格を否定された・人格を自己否定させられた」体験がもっとも多く、67%を占めました。(図3を参照)
「認知症になったら尊厳が傷つくか」という問いに対しては、「傷つかない」という回答がもっとも多く、50%を占めました。「傷つかない」という語りを分類すると、「病気(老化)の受容」が91%を占めていました。(図4を参照)
「尊厳」は「自尊心」が傷つけられたとき、「信頼」が裏切られたとき、「存在」が否定されたときに傷つくことが示唆されました。以上から、「尊厳」は「自尊心」が尊重されること、「信頼」が裏切られないこと、「存在」が肯定されることの3つの行為が関連していることがわかりました。「尊厳」にもとづく具体的な行動とは、本人の「自尊心」を無条件に尊重すること、本人との「信頼」関係を損なわないこと、本人の「存在」を無条件に肯定することであることが推察されました。
認知症になると「尊厳」が「傷つく」という回答には、共通して「自尊心が傷つけられた」という語りが見られました。一方、認知症になっても「尊厳」が「傷つかない」という回答には、共通して「病気(老化)の受容」という語りが見られました。認知機能の低下を病気(老化)にともなう避けがたい心身の機能低下の一つととらえるかどうかが、「尊厳」が傷つく・傷つかないという真逆の体験を方向づける重要な要因である可能性が示唆されました。
認知症になったら「公言する」「公言しない」という語りを分類し、「尊厳」との関連を分析しました。調査協力者の69%は「公言する」という回答し、うち、「助けてもらう」という回答が67%を占めました。一方、「公言しない」と回答した調査協力者は、「認めたくない」「自分でやりたい」「弱者になりたくない」「気がつかない」といった多様な語りが見られました。(図5を参照)
さらに、認知症になったら「尊厳」が「傷つく」「傷つかない」という語りと「公言する」「公言しない」という語りの関連を分析しました。すると、「傷つかない」と回答した調査協力者の全数が「公言する」と語り、「傷つく」と回答した調査協力者の80%が「公言しない」と語っていました。実態として、認知機能が低下したために地域で孤立する本人・家族は、恥や体面を気遣うあまり認知症であることを周りに言えずに、認知機能の低下によって生じる様々な障害を自分たちで解決しようとする傾向があります。認知機能の低下を病気(老化)ととらえ、受容することが、認知機能が低下しても「自尊心」が傷つかず、認知機能の低下を周りに知らせることを促し、「助ける」「助けられる」関係性のなかで自立した生活(「依存的自立」)を継続できる地域社会が実現可能であることが示唆されました。(図6を参照)
認知機能が低下したために地域で孤立する本人・家族は、恥や体面を気遣うあまり認知症であることを周りに言えずに、認知機能の低下によって生じる様々な障害を自分たちで解決しようとする傾向がありますが、みなさまはいかがでしょうか。「尊厳」観の調査からは、認知機能の低下を受容する態度と、本人・家族だけでは解決できない問題を近隣住民や専門職の援助に委ねる行動が関連している可能性が示唆されました。と同時に、近隣住民や専門職の側にも、認知機能の低下した本人・家族のできないことやしてほしいことを肯定的に受け止める関係や、その関係を裏切らない態度が大切であることがわかりました。
注:
※本稿は、元気!ながさきの会広報部「元気!ながさき」(2021年8月1日発行)の寄稿に加筆等を行った。
※本研究は、公益財団法人SOMPO福祉財団2020年度ジェロントロジー研究助成『認知症とともに暮らせる社会の創出に向けた「尊厳」主体の生活支援の実装』(2020年11月-2022年3月)の研究成果である。