2023.10.26
近年、超高齢化社会を迎え、加齢や疾患に伴う筋肉量や筋力の低下を示すサルコペニアなどをはじめとして健康障害が増加しており、その対策が求められています。サルコペニアは、フレイル(健康と要介護の間の虚弱な状態)や要介護に至る重要な要因の一つと考えられており、その予防・治療法の開発は社会的急務となっています。サルコペニアやフレイルの予防には適切な食事とともに、運動・筋肉トレーニングが有効とされています。さらに、都民・国民全体の健康増進やスポーツ能力向上のためにも筋肉のパフォーマンス向上が大きく役立つと考えられています。
筋肉の運動には大量のエネルギーが必要ですが、このエネルギーは細胞内小器官であるミトコンドリアによって作られています。私たちを含む最近の研究から、ミトコンドリアの中にあるタンパク質の集合体であるミトコンドリア超複合体が、多くのエネルギーを作り出したり、筋肉の運動持久力を高めたりするために重要な役割を担うことが明らかとなってきました。ところが、これまでミトコンドリア超複合体を生きたままの細胞で「見える化」(イメージング)することはできず、その実態はよくわかっていませんでした。
最近、私たちは世界で初めて、生きた細胞でミトコンドリア超複合体を「見える化」する技術を開発し、それをもとにサルコペニア等の筋肉疾患の予防・治療や健康増進を目指した研究を行っています。本トピックスではミトコンドリア超複合体の「見える化」技術とその応用に関する私たちの研究についてご紹介致します。
ミトコンドリアは筋肉細胞も含めたほとんどの細胞の中に存在し、エネルギーを作り出すという重要な働きを担っています。筋肉細胞に含まれるミトコンドリアは筋肉の有酸素運動や運動持久力と深い関わりがあることが知られています(文献1)。
ミトコンドリアによるエネルギーの産生には、呼吸鎖複合体と呼ばれるタンパク質複合体が大きな役割を担います。私たちはこれまでに、3種類の呼吸鎖複合体(複合体I、III、およびIV)が集まってより大きな構造体(ミトコンドリア超複合体)となって働くことで、より多くのエネルギーが作られることや、マウスでは筋肉の運動持久力が高まりマラソンランナー型になることを明らかにしました(図1、文献2、3)。ミトコンドリア超複合体は筋肉の能力を向上させるキープレイヤーであり、サルコペニア等の筋肉疾患の予防・治療や健康増進に役立つことが期待されます。しかし、生きたままの細胞でミトコンドリア超複合体を「見える化」(イメージング)する技術がなかったことから、ミトコンドリア超複合体の実態を観察することは難しく、詳しい働きやどのようにコントロールされているかなどについてはよくわかっていませんでした。
図1.ミトコンドリア超複合体はエネルギー産生と運動持久力の向上にかかわる
私たちは、生きたままの細胞でミトコンドリア超複合体を「見える化」するために、蛍光タンパク質の間で起こるFörster共鳴エネルギー移動(FRET)という現象を利用しました。まず、マウスの筋肉由来の細胞であるC2C12細胞で、複合体IとIVをそれぞれ緑色と赤色の蛍光タンパク質で標識しました。蛍光タンパク質はそれぞれ特定の波長の光(励起光)を照射したときに蛍光を発します。一方、ミトコンドリア超複合体の中で標識した複合体が近づくと、緑色の蛍光タンパク質に対する励起光を照射したときに赤色の蛍光タンパク質が蛍光を発するというFRET現象が起こります。この現象を共焦点蛍光顕微鏡や、高速かつ大量に顕微画像を取得する機器であるイメージングサイトメーターを用いて観察することで、私たちは世界で初めてミトコンドリア超複合体の「見える化」に成功しました。また、この技術により超複合体を定量的に調べることにも成功しました(図2)。
図2.ミトコンドリア超複合体の「見える化」(イメージング)技術の開発
(A)蛍光タンパク質を用いたミトコンドリア超複合体の「見える化」技術
(B)「見える化」技術を用いたC2C12細胞のミトコンドリア超複合体の観察
次に、私たちはミトコンドリア超複合体の「見える化」技術を用いて、ミトコンドリア超複合体を増やす新しい薬物を探索しました。1,000種類を超える薬物の高速大量スクリーニングを行った結果、ミトコンドリア超複合体を増やす複数の薬物の候補を見出しました。候補薬物の中でも、リン酸化酵素であるspleen tyrosine kinase (SYK)の働きを抑える薬物(阻害剤)として知られるMNSはミトコンドリア超複合体を特に増やしました。そこで、MNSとともに、もう2つのSYKの阻害剤についても調べたところ、これらのSYK阻害剤はいずれも超複合体を増やしミトコンドリアのエネルギー代謝を活発にすることが明らかになりました。さらに、これら3種類の阻害剤を与えたマウスはいずれも運動持久力が高まり(マラソンランナー型になる)、筋肉で超複合体が増えていることが分かりました。これらのことから、SYKの働きを適度に抑えることで、筋肉のミトコンドリア超複合体が増えてエネルギー代謝が活性化し、運動持久力が高まる可能性が考えられます(文献4)。
図3.SYKの適度な抑制は、ミトコンドリア超複合体を増やし運動持久力を高める
MNS: 3,4-methylenedioxy-β-nitrostyrene
本研究トピックスでは、私たちが進めているミトコンドリア超複合体の「見える化」(イメージング)技術の開発と、それをもとに発見したミトコンドリア超複合体を増やし筋肉の運動持久力を高める新しい薬物についてご紹介致しました。本成果はサルコペニア等の筋肉疾患の予防・治療や筋肉機能の改善による健康増進に役立つものと期待されます。最近、私たちも含めたグループによりミトコンドリア超複合体の形成に関わる遺伝子として見出されたCOX7RPが、高齢者の運動・心肺機能と関連することが報告され、ミトコンドリア超複合体と老化・加齢性疾患のかかわりに注目が集まっています(文献2、5、6)。今後も、私たちが開発したミトコンドリア超複合体の「見える化」技術をもとに超複合体の実態を明らかにし、老化や加齢性疾患の予防・治療、健康増進などへの応用につなげ、都民・国民にその成果を還元することを目指して研究を進めていきたいと思います。