小澤先生との出会いは、東大老人科研修時代に、原沢教授の助教授をなされ、回診時に睨みを効かせて、ポツリと核心をついた指摘をされたことが怖かった思い出がある。当時は循環器の自律神経機能(チルトテーブルなど)を研究されていたがこれは後から知ることとなった。しばらくして高知医大の教授に栄転され、老年医学分野では嚆矢となるコホート研究(香北町研究)を立ち上げ、多くの論文をLancetなどに発表した。松林先生、土居先生、西永先生など後進の育成もなされた。
次の出会いは、東京都老人医療センターの病院長として帰京され、日本で初めて総合的機能評価病棟(CGA病棟)を立ち上げた時である。私も歳をとり、大内教授のもとで病棟医長になりたてであった。当時の大学院生など若手を派遣してノウハウを教えていただき、東大老年病科の入退院にCGAを組み込み、ファイルメーカープロによるCGAを含むデータセットを自分で作り、全入院症例のデータベースがスタートした。その後はよく知らないが、形は多少変わっても今でも電子カルテ上で動いていると聞いている。
残念ながら、当時のCGA病棟は老人医療センターでは一部に止まって、十分なインパクトは持ち得なかった。
2000年に杏林大学に移った時に、認知症医療にCGAを組み込んで「物忘れセンター」を立ち上げたこと、厚労科研で「総合的機能評価ガイドライン策定班」を立ち上げ、小澤先生門下の松林先生、西永先生、に佐々木英忠先生、葛谷先生、秋下先生、神﨑先生、横手先生など当時の、また後日の老年医学分野の教授が勢揃いして班員を構成してくださり、ガイドライン完成時には、小澤先生に推薦文を頂戴した。要点を抜粋する。
高齢者では、疾病の予防から臨床、ターミナルに至るまで、常に的確な評価がなければならない。よい評価があってはじめて、最適な医療とケアが可能となる。 評価と医療・介護は、あたかも車の両輪のような役割を果たす。
本書では、総合的機能評価のノウハウが、広い視野から検討されている。さまざまな老人医療の場において、このような評価が実践されれば、医療とケアは最 適化され、患者と介護者の満足が得られるであろう。患者の自立とQOLの改善に資するところが大きい。
小澤先生との最後の接点は、顕彰委員会で「尼子賞」を受賞いただいたことである。 この賞の名称の許諾にもお骨おりいただき、また受賞を喜んでいただいたことは、CGAの外弟子である小生のせめてもの恩返しと思っている。
東京都健康長寿医療センター 理事長 鳥羽研二
1993(平成5)年4月から1997(平成9)年3月までの4年間にわたり病院長を務められた小澤利男先生が、2024(令和6)年8月21日にご逝去された。
先生は当センターに来られる前の高知医大(現在は高知大学医学部)老年病科教授時代に75歳以上の高齢者の高齢者総合機能評価検診を中心とした香北町(現在は香美市)研究に取り組まれ、ADL、認知機能、社会的背景が生命予後やQOLに深く関係すること、また適切な栄養管理や運動をすれば要介護状態に陥る高齢者が減少するということを明らかにされました。このような香北町研究の結果は、2000(平成12)年に創設された介護保険制度や、その後の介護予防事業の制度設計に大きく貢献したと考えられます。
このような経験から、先生は、高齢者医療では疾患の評価のみでなく高齢者総合機能評価を実施することが重要と考えられ、病院長ご就任と同時に高齢者総合機能評価と、それに基づく医療・ケアを実践できる体制づくりを始められました。センターの診療録も、従来の一般的な診療録から高齢者総合機能評価を含んだ診療録に変更されました。また、当センター内分泌代謝科で研鑽を積まれ、その後老人・乳児医療費無料化を全国に先駆けて実施し、高齢者の受診率の向上、乳幼児死亡率の激減など大きな成果をあげていた岩手県沢内村(現在は西和賀町)国保沢内病院、次いで宮城県鶯沢町(現在は栗原市)町立鶯沢診療所で地域医療の経験を積まれていた高橋龍太郎先生(後に東京都老人総合研究所副所長)を医長に迎え、高齢者総合機能評価病棟を新設されました。高齢者総合機能評価病棟では、医師、看護師、管理栄養士、薬剤師、リハビリ職員、ソーシアルワーカーなどがチームを組み高齢者総合機能評価を実施し、その情報を考慮に入れた医療を実施し、心不全の再入院率が顕著に低下したなどの成果をあげられました。
高齢者総合機能評価の実施により、各診療科が専門とする疾患の高齢者における特徴や、診断・治療上の注意点を明らかにするという開院以来の当センターの医療は、患者さんの立場に立った、QOL、退院後の生活に配慮した医療へ、言いかえると病気を見る医療から、病気を持った高齢者の生活を支える医療へと、また医師のみで行う医療からチーム医療へ、高齢者の生活の場である地域との連携を重視した医療へと大きく変化し、高齢者医療専門病院としての独自性が確立されることとなりました。
私個人の研究においては、主任研究者として実施した全国規模の約1,200例の高齢者糖尿病を対象とした多危険因子に対する6年間にわたる前向きランダム化比較治療介入試験(J-EDIT)における調査項目に、体重、血糖、血清脂質や血圧といった検査項目だけでなく、高齢者総合機能評価における調査項目を加えることとしました。その結果、ADLや認知機能の在り方により血糖の治療目標値を変えるという現行の高齢者糖尿病の診療ガイドラインの作成につながる多くのエビデンスが得られました。ADL低下や認知機能低下をいかに予防し、それらを持つ高齢者をどのように治療。ケアするかという今日的な課題に、ある程度こたえることができる結果が得られたわけです。このような研究が出来たのも、小澤先生のお陰と思い深く感謝しています。
小澤先生は、当センターを退職後、「老年医学の先駆者たち」 ライフサイエンス2006年、「老年医学と老年学 老・病・死を考える」 ライフサイエンス2009年、『「長生き病』を考える 老年医学の道を歩んで』 東京図書出版2012年、『「長生き時代」を生きる 老・病・死の不安をどう乗り越えるか』(落合恵子、加賀乙彦と対話集) 集英社2014年、「健康長寿の道を歩んで」 幻冬舎2021年など多くのご著書を上梓されました。その都度、ご著書を頂き、読ませて頂きました。それぞれ、医学的な内容に加え、古今東西の名著の引用など、その博学ぶりに驚きましたが、多くのことを学ばせて頂きました。最後のご著書は、先生が92歳の時に上梓された「健康長寿の道を歩んで」ですが、衰えぬ記憶、好奇心、調査・研究能力の高さに唯々感心しておりました。
先生は、我が国の老年医学・老年学の進歩、当センターの医療の在り方に大きな足跡を残されました。先生は、最後のご著書において、「動く」、「楽しむ」、「喜ばす」、「感謝する」ことが健康長寿の秘訣であり、自分もそれらをモットーに生きていると書かれています。先生ご自身、毎朝のデンマーク体操、午前、午後各30分の歩行、スケジュールを決めて読書、執筆、執筆項目に関する調査・研究に当たることを自らに課され、それらを楽しみつつ95歳の長寿を全うされたことと思います。自分の人生は悔いのない人生であった、いつ死んでもいいから、その際は賑やかに送ってくれと笑顔でおっしゃっていたことを思い出しつつ、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。先生、ありがとうございました。
東京都健康長寿医療センター 名誉理事長 井藤英喜
小澤名誉院長とは東大老年病学教室の同窓会でいつもお会いしていたので、私にとって小澤先生は教室の大先輩という印象が強い。私が入局した昭和62年にはすでに高知医大老年病科に教授として赴任されており、その後も直接指導をいただく機会は無かった。高知医大退任後、東京都老人医療センター院長として東京に戻られてからは毎年のように同窓会に顔を出され、若手の発表から同窓会の運営に至るまで歯に衣着せぬコメントをされるお姿に感銘を受けた。OBの先生方によると、そのようなきわめて真摯なお人柄であるという。その理解は私の立場が変わり、また小澤先生が亡くなられた今でも全く変わっていない。
小澤先生の業績で特筆するべきは高齢者総合機能評価(CGA)を日本に導入されたことだろう。CGAは、老年医学者ならば今や誰も否定することがない、老年医学を凝縮した手法である。今年、私が代表として「CGAに基づく診療・ケアガイドライン2024」を作成した。その中でCGAの歴史について記載しているが、1990年 高知医大・小澤利男教授 CGAを臨床研究として導入、1993年 東京都老人医療センターで日本初のCGA病棟が開設、と我が国におけるCGAの端緒を小澤先生が開かれたことが記されている。続きには、2003年に当センターの鳥羽研二理事長が日本で初めてのCGAガイドラインを作成されたことも記載されており、CGAが紡ぐ老年医学の発展にも当センターが大きく寄与したことがわかる。
小澤先生の老年医学と当センターへのご貢献に心より感謝するとともに、小澤先生のご冥福をお祈り申し上げる。
東京都健康長寿医療センター センター長 秋下雅弘
2002年に私が東京都老人医療センター循環器科に赴任してはじめての当直の時に、急性心筋梗塞の患者が救急入院したのですが、緊急カテーテル治療を行い無事救命できました。当時、高齢者の専門病院に心臓カテーテル室があるのは非常に珍しいことでしたが、小澤利男先生の肝入りで当センター(旧施設)に作られたということをお聞きました。小澤先生とは、残念ながら一緒にお仕事をする機会はありませんでしたが、数多くの著書を頂き、また、学会場などでよく声をかけていただいたことを、とてもうれしく思っておりました。その後、東大循環器内科10周年記念の会でいろいろお話しを聞かせて頂くことができました。
小澤先生は2001年に設立された日本動脈硬化予防研究基金の初代運営委員長として、日本動脈硬化縦断研究(JALS)という動脈硬化リスク因子についての全国規模のデータ統合に基づく疫学研究を始められ、日本人の多くの貴重なデータを発表されました。さらに、2016年頃の日本循環器学会の高齢者循環器疾患の治療という朝一番のシンポジウムで私の発表の次に、有名な外科の先生が「認知症の患者の心臓血管外科治療」という話をされた時に、「(患者のCGAなどの評価をきちんとせず)できるからといって手術をするべきではない」と最前列の席から手を上げられ警鐘を鳴らされたことを、今でも鮮明に覚えています。老年医学はもちろん高齢者循環器の大先輩としてこれまで多くのことを教えていただいたことを心より感謝しています。
小澤利男先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
東京都健康長寿医療センター 副院長 原田和昌
小澤先生が2009年に主宰された第26回日本老年学会と同時に開催された第51回日本老年医学会の事務局を担当させていただいた西永正典と申します。
このたび、小澤先生の訃報に接し、公私にわたってあり余るほどのご指導やご厚意を受けた高知医大の一学生・一医局員として、言い尽くせない感謝の言葉を申し上げたく、僭越ながら筆を執らせていただきました。
小澤利男先生は、1981年に新設国立医大に初めて設置された老年病科教室の初代教授として高知医科大学に赴任されました。当時学生であった私は、「老年病科」の響きにとても惹かれました。ほとんど知識もないまま、小澤先生に老年医学をやってみたいとお話したところ、入局後研修2年目より東京都老人医療センター(現東京都健康長寿医療センター)に研修に出していただけました。そこで老年医学の基本、さらに病理学の重要性を知ることができました。研修中も何かと気にかけていただき、老年医学についての昨今の話題を折あるごとにお聞かせいただきました。研修終了翌年には大学院に進ませていただき、老年医学の研究会議にも出席させていただけるようになりました。ある日、毎週開かれる研究会議に小澤先生がGFA(Geriatric Functional Assessment;のちのCGA)に関連する本の記載1), 2)をご紹介され、島田先生や松林先生方と夜遅くまで熱心に議論されていたのを覚えています。また、地域在住高齢者を対象とした岡豊町研究や香北町研究を立ち上げられ3)、それを近くで見てお手伝いもさせていただく機会もありました。1990年には会長として、第32回日本老年医学会を高知市で開催され、会長講演でGFA(CGA:総合機能評価)の概念をお話になりました。
私が大学院を島田和幸先生のお力で何とか卒業させていただいたころ、1993年小澤先生は東京都老人医療センターの病院長として、CGA(総合機能評価)病棟を立ち上げていらっしゃいました。CGAを初めて日本に導入した総合病棟、私はその魅力に取りつかれ、我儘・無理を押し通して小澤先生の老人医療センターCGA病棟に勤務できるようにしていただきました。さらに、豪州のCGA研修にも参加させていただきました。その後、小澤先生のもとでCGAの臨床・研究に没頭していたころ、突然、小澤先生から母校(高知医大)に戻るようにとのお話があり、香北町研究継続のお手伝いと老年医学の教育・セミナー・大学病院へのCGAの導入を中心に高知での仕事をスタートしました。この間小澤先生から老年医学の研究についてご丁寧なご指導と温かい励ましをいただきました。
2009年小澤先生が日本老年学会会長になられ、老年医学会をはじめ関連学会も同時に、横浜で開催されることになりました。事務局としていろんな方々とお話する機会に恵まれ、大変貴重な経験をさせていただきました。講演前日夜中まで、推敲を重ねられた会長講演用のスライド本体が学会場当日にないことが発覚し、奥様の機転で国立のご自宅から横浜の学会場まで届けていただき、会長講演に何とか間に合ったスリリングな瞬間を今もたびたび思い出します。小澤先生をはじめ、みなさまのご尽力もあって、無事に学会を運営することができました。私の家庭の事情で高知から関東に戻らなければならなくなったとき、また、私の病気療養中も小澤先生は親身になっていろいろと心配りをしていただきました。
2017年には、小澤先生が恩師の一人と仰がれていた尼子富士郎先生の日本老年医学会尼子賞(第2回)を受賞され、心からお喜びになられていました4)。
その後も、精力的に老年医学に関する著作5),6),7),8)をつぎつぎと発表され、現在に至るまで多くの読者から支持されています。
いわゆる高齢者の仲間入りをした私も、小澤先生の日頃のお考え、お好きな孔子のことば、ご著書をこれまでどおりお手本として、日々感謝しながら年を重ねていこうと思います。
心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
西永 正典
1) Rowe JW, Besdine RW:Geriatric Medicine, 2nd ed, Little Browne and Co. 1988
2) Comprehensive Geriatric Assessment: AGS Public Policy Committee J Am Geriatr 1989;37:437-474
3) 小澤利男:高齢者の総合機能評価 日老医誌 1998;35:1-9
4) 小澤利男:老年医学の道を歩んで-総合機能評価CGAの導入と発展を考える-日老医誌 2017;54:211-221
5) 老年医学の道を歩んで ㈱ ライフ・サイエンス 1997
6) 老年医学の先駆者たち ㈱ ライフ・サイエンス 2006
7) 老年医学と老年学―老・病・死を考える― ㈱ ライフ・サイエンス 2009
8) 「長生き病」を考えるー老年医学の道を歩んでー 東京図書出版 2012
東京都健康長寿医療センター 名誉院長 小澤利男先生ご逝去の報に接し、心に大きな穴が空いたようで、謦咳に接した日々を懐かしんでおります。
小澤先生は平成5年4月に故蔵本築先生の後任として、高知医科大学から当センター院長として着任され、平成9年3月までの当病院の院長として4年間お勤めになられました。
先生が当院で手がけた業績は枚挙にいとまがありませんが、その幾つかを記してみたいと思います。
まず第1は、高齢者医療にCGG(Comprehensive Geriatric Assessment)を導入され実践されたことです。高齢者は様々な疾患を抱えていることから、多面的かつ包括的な診療が重要であることは現在では常識になっており、総合内科という言葉に置き換わっております。しかしその考え方を日本で初めて導入し普及したのは他ならぬ小澤先生でした。当病院の一角にCGA病棟を開設し、多様な疾患に対応できる人材を配置し、リハビリとの速やかな対応も可能にしました。まさに老年医療のあり方に先鞭をつけられた先生でした。
第2の大きな業績は、当院の循環器診療に大きな変革をもたらしたことです。
当院循環器科は昭和47年の開設以来、sick sinus syndromeなどの高齢者心臓疾患おとして不整脈や弁膜症の診療に力を注いでいましたが、その頃急速に増加し、カテーテル治療などの技術も進化した冠動脈疾患に対しては造影装置すらない状況の中で、世間からは大きく出遅れていました。小澤先生は着任からまもない1995年にフィリップス社製の冠動脈造影装置の設置に踏み切り、当院でもようやく経皮的冠動脈治療が行われるようになりました。循環器疾患診療としては現在の心臓外科につながる大きな業績です。
第3の業績として、動脈硬化の簡易診断として脈波速度の普及に尽力されたことが挙げられます。動脈硬化を数値化あるいは可視化するという目標を掲げ、当時の日本コーリン篠田社長と協力しオシロメトリック法を用いたフォルムという四肢の血圧を同時に測定して閉塞性動脈硬化症の診断に有用な機器の開発に尽力されました。また、動脈硬化予防研究会を立ち上げるなど、その普及に尽力し、現在では動脈硬化指標の一つとして定着し、保険適用となっています。
またそれと関連して夜間血圧が高いことが脳動脈硬化を促進してラクナ梗塞の要因となることを高知大学教授時代に発表され、それまで「夜間血圧を下げてはいけないという高血圧の常識を一変させたことは高血圧治療学における今日に至る画期的な発表でした。
第4の業績としては、若手人材の育成に尽力されたことです。高知医科大学老年学教室を退職された際には、西永正典、濱松昌彦、青野正(故人)、など多くの若手医師が先生をしたって当院に就職し、当院の戦力として活躍しました。平成6年当時はまさに循環器には20名を超えるスタッフが活躍し、一つの大学医局並みの大所帯でありました。(写真)
前列には中原賢一、上田清吾(故人)、桑島、松下哲、小澤先生、大川真一郎(故人)、坂井誠、前田茂医師が並び、後列には大勢の若手スタッフや研修医の姿が映っています。これらの医師たちは現在も高齢者診療の第一線で活躍されています。
私なども色々な大きな学会のシンポジウムや特別講演で発表する機会を与えていただき、医学会で飛躍することができたのは小澤先生のお陰であると感謝しております。
第5の業績として、自ら95歳まで健康長寿を実践され、老年学とは何かを自らの体験を持って追求されたことです。先生は64歳で老人医療センター(現・健康長寿医療センター)を退職され、以後は老年医学の本質を探るべく自らの経験に加えて、老年医学の先駆者たちの業績を"老年医学の先駆者たち"(ライフサイエンス)という本にまとめられました。老年病学を学ぶものにとっては必読の書となっています。
以上のように小澤先生が日本の老年医学や高血圧病学のみならず、当院の発展に大きな業績を残されました。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
東京都健康長寿医療センター 元副院長 桑島巖
日本老年医学会の第32回学術集会は、1990年高知市で開催され、それを主催したのが小澤利男先生でした。初めての高知への旅で、桂浜の散策やカツオのたたき、四万十川の川海苔はいい思い出です。その翌年、地方の町や村の高齢者は、都市圏とは違った生活をしているのだろうか、あまり変わらないのだろうかと興味を抱き、岩手県の沢内村(現西和賀町)に単身で赴任しました。送別会の席で、当時の蔵本築第3代院長が「高橋君は岩手県の寒村で働くそうです」と紹介されたことを「まあ、そういうことだろうな」と妙に人ごとのように感じたのを覚えています。
昔、細倉鉱山で栄え、閉山後過疎化した宮城県の鴬沢町(現栗原市)で働いていた1993年の暮れ、井藤英喜内分泌科部長(前センター理事長)から1本の電話をもらいました。その年から第4代院長に就任した小澤利男先生が一度会いたいと言っているとのことで、正月早々、院長室で初めてお会いしました。用件は、4月から開設される総合評価病棟(CGA病棟)の責任者にならないかとのお誘いでした。そろそろ単身赴任をやめて自宅から通勤できる首都圏に戻ろうと思っていたのと、臓器別の専門医療ではなく高齢者への包括的医療の提供という新病棟の方向性に興味を抱きその場で引き受けました。
看護師やソーシャルワーカーとの連携を基本とし、リハビリ専門職や栄養士、薬剤師なども参加する多職種でのチーム医療体制をとるCGA(Comprehensive Geriatric Assessment:包括的機能評価)病棟の運営は全くの手探り状態から出発しました。その後2000年から介護保険がスタートし、多職種連携や生活機能評価が当たり前になっている現在では今更感がありますが、1994年当時、日本でそのような方針に基づいて運営されている病棟はどこにもありませんでした。ADLやIADL、認知機能などを手分けして評価し、多職種が集まって検討することは高齢患者さんの状態像を共有するのに有用であり、病状の把握と治療方針の決定にも大いに参考になります。
しかしながら、毎週検討会を重ねる中で、何かが足りないという思いを払しょくできませんでした。米国ではCGAの介入によって入院期間や医療費に良い影響が出る、といった報告がなされていました。わが国でも徐々に入院期間の短縮や効率的医療が話題になってきたものの、現在のような包括支払い方式(DPC/PDPS)も議論されていないころで、関わる様々な職種のスタッフに入院期間や医療費でCGA効果のインセンティブを持ってもらうのは無理があると思いました。CGAのような高齢者医療の嚆矢は、英国の女性医師Marjory Warren(英国老年医学会の共同創設者)が、1935年、着任した病院で開始したとされています。彼女の活動に関する文献を読むと、さまざまな疾患や障がいをもった高齢者が長期入院を強いられている当時の状況に疑問を持ち、生活機能レベルを評価し、リハビリテーション介入による自宅復帰、長期ケア施設への転所、入院での看取りといった退院計画を立てていくのが目的であることが理解できました。
CGAとは本人にとって最も望ましい退院を支援するためのツールである、というのが当時悪戦苦闘した後の結論です。ただ、それでもなおCGA体制の中心をなす多職種連携なるものに疑問を持ちました。多職種連携とは単なる役割分担ではないはずだ、それぞれの職種が自分の持ち分の仕事をすればすむわけではなく、情報の共有にとどまらない"プロセスの共有"という実感が伴うものを目指すべきだと思いました。私を含めて当時関わったスタッフは"プロセスの共有"を実感することは乏しかったと反省します。
その後もCGAに関連する著書や文献を読み進める中で、老年科医の並河正晃さんが書いた「老年者ケアを科学する」(医学書院、2002年)に出会いました。並河さんは、高齢者医療の核心とは「1人ひとりの老年者が持つ3種類の問題、すなわち身体的、精神心理的および社会環境的な問題を、個々の老年者の立場で偏りなくとらえていくこと」と指摘し、<3種類の問題の均等視>という優れた一語で表現しています。"プロセスの共有"の実感には、多職種が<3種類の問題の均等視>という方法論的態度で臨むことが必須なのです。
さらに何年か経った頃、学習院大学の非常勤講師として「福祉」の授業でCGAを紹介するために下調べをしていた時、ハンセン病者の隔離政策に反対し外来治療を行っていた小笠原登医師の口述筆記録に出会いました。"癩の看護学(1934年)"(近現代日本ハンセン病問題資料集成 戦前編第3巻、不二出版、2002)という短い文章です。ハンセン病を看護する看護師に向けたもので、三つの点が重要だといいます。その二番目が「患者の身体、性質および境遇を省察すること」となっています。これは、並河さんの「身体的、精神心理的および社会環境的な問題を偏りなくとらえていくこと」とぴったり一致します。当時のハンセン病は、疾患と障がいが社会生活の維持に大きく影響する病でした。小笠原医師は高齢者に特化して診療していたわけではありませんが、慢性の疾患による生活機能障がいを深く理解していた人だと思います。
CGAは、小笠原登、並河正晃、小澤利男という三人の日本人によって我が国にもたらされました。小児科医(Pediatrician)ならぬ老年科医(Geriatrician)によって今後も工夫され広がっていってほしいと心から祈念しています。
元研究所副所長 高橋龍太郎