第20話 認知症に至る世の中の考え方、呼び方

 認知症に至る世の中の考え方、呼び方

 江戸時代から明治初期には医学的に独立した認知症の概念はなく、老耄(ろうもう)とは、19世紀中頃まで老耄(おいほれ)などと呼ばれ認識や記憶能力だけでなく、他の加齢による生理的かつ否定的な身体的変化全般を表す言葉として使用されてきました。(関谷 ゆかり ソシオロゴス2009、33:65-73)

 フレイルの概念にも近い気がします。
 西洋医学が始まっても、日本ではアルツハイマー病の考え方の普及は遅く「歳のせいだ」と、病気による認知症の区別は難しかったようです(2002年、東京大学 呉教授)世間では、徘徊する認知症を「狂癲・瘋癲人(きょうてん・ふうてん人)」と呼んでいました。

 フーテンの寅さんは、当時では「徘徊する寅さん」という意味になります。かの有名な夏目漱石でさえ、『吾輩は猫である』の中で瘋癲病者を「狂人」と記しています。以降、ずっと「痴呆」の用語が使われ、学会名や保険病名にも使われてきました。2005年介護保険法が改正され、「痴呆」が「認知症」に変更されました。呼称が変わっても、認知症を伴って生きる当事者に対しては「病人」という視点から長らく抜け出せないできましたが、1998年46歳で若年性アルツハイマーと診断されたクリスティーン・ボーデンさんが『私は誰になっていくの』を出版し、世界の偏見を止めようとする動きにつながりました。その後、日本でも当事者の発言が取り上げられ、諸外国もDementia(痴呆) からCognitive Decline(認知機能低下)に変わりつつあります。