第36話 元気を取り戻す(その2)

元気を取り戻す(その2)

坂道
 久しぶりに映画を見た。「白い坂道が空まで続いていた、ゆらゆら陽炎があの子を包む...」というラストにかかる松任谷由実の「飛行機雲」が流れても誰も席を立たない。ふとみると近くの高校生が目頭をおさえている。スクリーンが歪むので、乱視が悪化したかと思ったら、頬は熱い涙の洪水だった。
 加齢により、細胞内液は減少し、「乾く」のが特徴で、いつもはコンピューターで仕事をしていても「ドライアイ」である。なぜ老人は涙もろくなるかは、生理的老化に伴う体液代謝の変化では説明が難しい。
 空まで続く坂道は、長野県で育った私には日常見慣れた光景であった。
 幼稚園のころは、毎日松本市の城山(じょうやま)公園近くの、通称「らくだ」と呼ばれていた45度近い崖で遊んでいた。多い日は数十人が集まり、ツタや縄でルートを造ったり、簡単な休憩所を作ったりした。 崖を降りたところに、奈良井川の清流があり、川遊びをした。あの危険と紙一重のわくわくした心の躍動はもう無い。
 川で溺れたという事件が伝わってきた。テレビも無い頃で、「あまりにも若すぎた」などと思わず、運が悪かったと幼子心に思った。崖から落ちて、打撲や擦り傷は日常茶飯事であったが、皆この「秘密の場所」を守るため、危険を告げ口することはなかった。20年後に訪れると、鉄柵とフェンスで囲まれ「この先危険立ち入るべからず」とあった。坂から大人が落ちて亡くなったようである。
 小学校2年で松本から岡谷市に転校になった。方言も全く異なり、いじめてやろうという視線が集まったが、私の方が気性が荒かったらしい。
 しばらくして集団でアケビやヤマブドウを取りに、計画を立てて悪ガキが「誰も気づかず、何も恐れずに」登って行った。農家の柿には、「そして舞い上がって」、拝借した。「こらー」と怒られることもあったが、子供が二三個の柿をもぐのは大目に見てもらっていた。丘の頂上で、八ヶ岳をみながらかじる柿は美味しかった。芝生の広場があり、寝転がると鰯雲が遠くへ旅するようだった。
 大学生の時、初冬の北穂高岳に登ったとたん、雪が降り始め、夕刻8時に山小屋へ何とか付いたが、途中でひどく眠くなり「このままほっておいてくれ」といったらしいが、サラミとみかんをたべ、急坂を親友の励ましで下ったらしい。今までで一番死に近づいた時である。
 坂道は人生に似ている。苦労も、楽しみも似ている。
 人は、老いるまで死を実感しない。エンドオブライフケアには、「人は長く実感しないが、ある日突然視界に見える、ちょうど坂道を上りきって峠からみえる下り坂の先に、いままで全く見えなかったものが、はっきり見えるようになる」とある。
 坂には人それぞれ、心が疼く記憶がある。坂を共有するのは、柿泥棒の子供時代だけでなく、年配の方に対してもそう出来ないだろうか? 医療スタッフは勿論、地域で「坂道」のイマジネーションを膨らませる超高齢化社会でありたい。