元気を取り戻す(その8)
「座右の銘」なし
巻頭言で「座右の銘」を依頼された。
いろいろな世界で、これらを依頼される人は、刻苦勉励であると同時に、融通無碍であり、場合によっては一刀両断であり、一つの銘では停滞や倒産の憂き目に遭うだろうなどと日頃から思っていた。
そんな事情から、「座右の銘」を頼むのに最も不適切な人選とは思ったが、心に残る言葉について、あれこれ考えるいい機会であり、引き受けることにした。
幼少から初老に至る現在まで、近しい人の言葉や、書物の中には、人生の季節にふさわしい彩りをもった珠玉に満ちている。日本語の芸術性といっても過言ではないだろう。学問と人格の二つを研くように名付けられたが、未だしである。東京に出るときには「朝はしっかり起きるように」と母から言われた。若いときは苦痛であったが、最近はなぜか苦もなく早く起きられるようになった。
結婚式では「人の心の痛みを悉る」ことを父から遺されたが、忸怩たるものもある。周囲から「滅多に人を褒めない鳥羽先生から評価された」など、いつも人を評価こそすれ、辛口はカレーのみにしている自覚症状とは違っている。
留学中には「出たデータは真実で、それに忠実であれ」と学び、仮説が否定されたときにむしろ喜ぶ悪い癖(?)が身に付いた。しかし内部の研究評価では常に、この重要性は口を酸っぱくして言い渡してきた。
東大では「組織で本当に働いているのは少数である」という励ましを、教授からいただき、いまでも成る程と合点している。
杏林大学では、臨床への傾注から得がたい宝をもらうことを学んだ。
もの忘れ外来を始め、外来患者が順調に増加し、データベースを縦断的にきちんととれるように、「もの忘れセンター」を提案した。場所、人員など「経営指標」との整合性に3年以上かかり、外来開始から6年目にようやくオープンした。かんしゃく玉はよく破裂していたが、辛抱の意味が後からわかった。
国立長寿医療研究センターでは、周囲の反対も押し切って、最初から大規模な物忘れセンターを開設した。経営面の不安はすでに解決済みであり、スタッフの成長がセンターの理念とシンクロナイズするのに2年はかからなかった。認知症医療の理念と実行に対して成熟した組織となった。ここから得られた血液、髄液、心理検査、画像は国立長寿医療研究センターバイオバンクに毎年1000例近く蓄積され、一万症例の認知症のビックデータになる日も遠くない。
還暦を越え、小林秀雄の考えるヒント「還暦」なかで、忍耐は時間への尊敬であり、円熟は時間への信頼であるという言葉は、最近胸におちる一文である。一方、趣味のゴルフでは、忍耐は「あのとき我慢すればよかった」と過去に学ばないあとからの後悔であり、技術の円熟はスコアへの欲にまみれると、経験年数とは無関係である。
かくように、座右の銘は脆いものである。