折々の記(その5)
グルメ 中編
偉いかたと食事をする機会も昔より増えた。数万円もしたり、星がついたレストランや寿司屋で食べることも年に1、2回はある。
知らない人は、「舌の肥えた先生は...」などというが、間違いである。肥えているのは下腹だけで、「絶品ですね、生かし切っていますね」などとお追従は言うが、本当は全くわかっていない。
また何故か心から楽しめていない。
東京大学や杏林大学に勤務していた頃は、近所の「こって牛」が若手を連れていく決まりの店であった。ボリューム満点、どれだけ飲んでも一人3000円でなんとかなるため、薄給でもなんとか出来た。
冬に大雪の日があり、猫又坂は30センチ以上積もり、バス、トラックが立ち往生し、時にぶつかる音が店内からも聞こえた。憐憫の情をほろ酔ながら覚えたのが懐かしい。
程なく名古屋に転勤にあり、久しぶりに寄ろうと思ったら閉店していた。名古屋では公務員住宅の近くの「文化食堂」が行きつけであった。一人5000円もあれば、十分飲んで楽しめた。
学会長の時は3日3晩借り切って、若手を中心に医局員の慰労に宛てた。
それだけでなく、海外の要人、アメリカ医師会雑誌編集長ジョンモーリー教授、国際老年学会会長ブルーノべラス教授や、国内の教授就任祝いは5回では済まないほど使用した。東京に転勤になる前に、少しご無沙汰していたので、立ち寄ると「閉店」となっていた。
グルメとは「皆で心行くまで騒いで飲むこと」と思っているが、なぜ私が愛した店はかくももろく閉店になるのだろうか? 合掌