折々の記(その7)
湖
長野県には海はない。同様の県は、群馬県、栃木県、埼玉県、岐阜県、滋賀県の5県である。
琵琶湖周航の歌は有名であるが、我は海の子ではなく、湖(うみ)の子であることに注意してもらいたい。作詞、作曲は、私の母校の旧制諏訪中学(現諏訪清陵高等学校)の先輩小口太郎である。母校の校歌は「東に高き八ヶ岳、西にはひたす諏訪の湖(うみ)」から始まる。当初、黒海、カスピ海に程遠い小さな湖をうみと呼ぶのはいかにも、諏訪盆地から一度も出たことのない人の感性と思っていたが、俳句では立派な読み方であった。
「この夜師と、冬月照らす、湖隔つ」とほる
湖では、毎年、ボートのクラスマッチが開かれた、6人乗りフィクスという、エイトのジュニア版で片側3人ずつに、コックスという掛け声役が乗り、500メートルを競った。体だけは人並みの私も、バスケ、バレー、テニスなどの猛者に混じって動員されたが、ボート部の多いクラスには全く歯がたたなかった。
1901(明治34)年に始まり、戦時中に一時中断したものの、現在まで伝統として受け継がれている。同校によると、県内でボートのクラスマッチを行う高校は他にない。再び校歌からも、「夏は湖水の夕波に 岸の青葉をうつしつつ、オール執る手も勇ましく漕ぐや天竜富士守屋、げに海国の日の本の男(お)の子の意気ぞたのもしき」
1901年創部の高校の端艇部は、全国高校選手権でも1981年インターハイ優勝などそこそこの成績を上げてきた。一部の部員は、個人でも成績をあげ、大学でも活躍中と聞く。